写真:Kochizufan (CC BY-SA 4.0)
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奈良豆比古神社の大楠
クスノキ(Cinnamomum camphora) · 1000年以上 · Narazaka
根元まわり12.8メートル、その幹に注連縄が巻かれている。このクスノキは、奈良坂の峠道に面した神社の本殿の裏に立つ。奈良坂は北から日本最初の恒久の都へ人を運んだ道なので、八世紀に京の方角から奈良へ歩いて入った人は、みなこの木の下を通ったことになる。高さはおよそ30メートル。地上7メートルあたりで二本の大枝に分かれ、その枝がまた分かれるので、下から見上げると一本の木というより、根元を分け合うことに決めた何本かの木のように見える。県は1951年にこれを天然記念物に指定した。読むだけでなく実際にバスに乗る値打ちがあるのは、10月8日の夜である。この日、神社では翁舞が奉納される。国の重要無形民俗文化財に指定された仮面の舞で、能の最も古い祖先のひとつとされるものが、何百年ものあいだこの木の下で舞われてきた。千年という数字については正直に言っておきたい。日本の大楠のほとんどがそうであるように、これは計測された年数ではなく言い伝えである。幹の太さはその話を支えている。
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写真:Pufacz (CC BY-SA 4.0)
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春日大社の大杉
スギ(Cryptomeria japonica) · 800年から1000年 · Kasugano
1309年にこの神社へ奉納された絵巻に、この杉が苗木として描かれている。七百年後、幹回りはおよそ8メートル、高さは25メートルになり、祭のあとに直会を行う社殿の脇に立っている。絵の中の苗木と、いまの大木は同じ一本の生きものである。若木のころの肖像と照らし合わせられる巨樹は、世界でもほとんどない。話として面白いのは、その根元から生えているもののほうだ。シンパクがそこに根を下ろし、隣の社殿に向かって伸びた。切り戻すかわりに、だれかが屋根に穴を開けて通した。その穴はいまも残っている。春日大社は768年に藤原氏の氏神を祀って創建され、何百年ものあいだ二十年ごとに建て替えられてきた。だからこの杉の周りの建物は、この杉より若く、しかも何度も若返っている。行く前にひとつ。資料はこの木を中門近くの直会殿のそばとしているが、そこが無料の外の境内に入るのか、拝観料のかかる区域なのかは、神社自身の案内からは読み取れない。
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白毫寺の五色椿
ツバキ(Camellia japonica) · 約400年 · Byakugoji
一本の木に五つの色が咲き、しかも椿らしい散り方をしない。樹齢四百年のこの椿は、赤、白、桃色の花を同じ株につけ、さらに絞りや斑の入った花も開く。五色椿の名も、奈良三名椿の一つに数えられる理由もそこにある。椿の多くは花ごとぼとりと落ちる。日本人がそれを打ち首に重ね、武士が椿を嫌ったと言われるのはそのためだが、この木は散り椿で、花びらが一枚ずつ散っていく。だから四月の木の下は、落ちた首の列ではなく、ばらばらの色が散らばった地面になる。高さは五メートルほどしかない。県は1957年にこれを天然記念物に指定した。白毫寺そのものは街の南東のはずれの丘の中腹にあり、奈良盆地がそのまま眼下に広がる。それが登りの見返りである。バス停と木のあいだには百段を超える石段があって、それを避ける道はない。花の盛りは三月の下旬から四月の半ばにかけてである。
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竹の生えたムクロジ
ムクロジ(Sapindus mukorossi) · 記録なし · Nara Park
幹が空洞になっていて、その中から竹が伸び、樹冠の頂から突き出ている。裏手にある茶室の竹林から伸びた竹がこのムクロジの空洞を見つけ、内側を通って樹冠から顔を出した。だから春日大社の参道の曲がり角に立っているのは、もう一本の木を身にまとった木である。神社の案内はその姿を、子を抱く母にたとえている。幹回り4.5メートル、高さ15メートル以上あり、奈良県で最大のムクロジとされる。樹齢を出した資料はどこにもない。数字を作るより、分からないとそのまま書いておくほうがいい。この木の黒い種には二つの用途があった。糸を通せば数珠になる。そのままなら、正月の羽根つきの羽根の重りになる。この木が季節の古い記録によく出てくるのはそのためである。種のまわりの果肉は水に入れると泡立つ。石鹸が安くなる前、人が体を洗うのに使ったのはこの木だった。
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写真:Soramimi (CC BY-SA 3.0)
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飛火野のクスノキ
クスノキ(Cinnamomum camphora) · 約140年 · Nara Park
1908年に植えられた三本が、一つの雲になった。飛火野の芝地の真ん中に、柵の輪に囲まれて立っている。明治天皇が陸軍の演習を観るために座ったと伝えられる場所を示す木で、百年あまりのあいだに枝を閉じ合わせ、完全な一つの丸屋根になった。だから写真を撮る人のほとんどは、巨大な一本の木を撮っているつもりでいる。最も太い幹は幹回り5メートル近く、樹冠は高さ26メートルに届く。その場所を作っているのは、木よりもむしろ周りの全部である。開けた草地、背後の山から流れてくる朝の靄、そして柵のすぐ際まで来て草を食む鹿。飛火野は鹿が集まる場所でもある。このページの中では何百年も若い木で、ここに載っているのは、ただそこに在る姿のためである。行くなら朝早く。芝地は東を向いていて、光は樹冠の下から差し込み、鹿は観光バスより先に出ている。
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春日大社の大ナギ
ナギ(Nageia nagi) · 500年から1000年(資料によって差がある) · Kasugano
この木は、本来ここにあるはずがない。ナギは九州や台湾など、ずっと南に自生する木で、この斜面に九ヘクタール広がるナギ林はその北限にあたり、1923年から国の天然記念物である。なぜそうなったのかについて、奈良市の記録は率直だ。この林は自然のものではない。奈良時代に木が神社へ献じられ、その子孫が斜面に広がった。つまり古い原生林に見えるものは、十二世紀分の奉納の結果である。この一本はそのなかで最大で、幹回り3.3メートル、高さ13メートル。成長のきわめて遅い種なので、樹齢の見積もりが五百年を超えて伸びるのはそのためである。針葉樹でありながら、針葉樹に見えない。葉は幅の広い革質の楕円で、平行脈が端から端まで走り、中脈がない。だから木を知っている人ほど立ち止まり、もう一度見て、説明の板を読みに行く。市は1997年、周囲20メートル四方の土地とともにこの木自体を保護した。
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写真:Degueulasse (CC BY 3.0)
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奈良一番桜(氷室神社)
シダレザクラ(Prunus subhirtella) · 約100年 · Kasugano
奈良の春は、公式にはこの木から始まることになっている。氷室神社の参道の脇に立つ枝垂桜は市内のどの桜よりも早く開き、そこから奈良一番桜と呼ばれるようになった。三月下旬のおよそ十日のあいだ、静かな神社に行列ができる。桜は鳥居の前の池に張り出しているので、花は二度現れる。頭の上に一度、水の中にもう一度。木より奇妙なのは、その下の神社のほうである。奈良時代の氷室の跡に立ち、氷の神を祀っている。冬に切り出した氷を藁で囲った穴に詰め、夏まで持たせて宮中に納めた場所で、いまも氷を扱う人たちが商売の繁盛を祈りに来る。毎年五月の終わりには、氷に閉じ込めた魚などを供える祭がある。木そのものはこのページの中では若いほうで、百年という数字も一つの資料に頼っているにすぎない。年数のほうは軽く、咲く時期のほうは真面目に受け取ってほしい。
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東塔跡のセンダン
センダン(Melia azedarach) · 記録なし · Nara Park
かつて日本で最も高い建物の一つが立っていた地面に、この木はある。東大寺の東塔は七重で、高さ百メートル前後と伝えられる。焼けて再建され、また焼け、三度目は建てられなかった。残っているのは草の中の基壇だけで、その脇に幹回り4.5メートル、高さ20メートルのセンダンが立つ。樹齢を出した資料はない。記録されているのは、この種類の木がこうした場所に現れる理由のほうである。センダンは邪気を払うと信じられ、墓地や死者を悼む場所に植えられてきた。焼けたまま再建されなかった塔の基壇は、まさにそういう場所になった。一年の大半は、大仏へ向かう人が気づかずに通り過ぎる、枝を広げただけの木である。五月半ばの二週間だけ、淡い紫の花を房のように全身につける。奈良公園の巨樹を紹介する公式の案内も、その二週間を来る理由として名指ししている。
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奈良公園で最も太いクロマツ
クロマツ(Pinus thunbergii) · 約250年 · Nara Park
奈良公園には何百年ものあいだ、姿がふさわしいという理由だけでクロマツが植えられてきた。これはその長い習慣の、最も太い生き残りである。幹回り3.5メートル、高さ28メートル、樹齢はおよそ250年で、植えられたのは江戸時代の半ばということになる。このページで最も行きやすい木でもある。駅から5分ほど、興福寺の国宝館のある区画の角に立っている。見上げる前に、足元を見てほしい。公園にはムササビがいて、松かさをかじって種を取り出し、かじり跡の残った芯を木の下に落としていく。その形を、地元の人は海老フライにたとえる。細く削られたものが道に転がっていれば、夜のあいだ樹冠に何かがいた証拠である。公園の巨樹を紹介する公式の案内は、この木の項をこう結んでいる。ここに植えた江戸の庭師たちは、その育ちぶりに満足するだろう、と。公園全体についての、公平な要約でもある。
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二月堂の良弁杉
スギ(Cryptomeria japonica) · 現在の木は樹齢およそ60年(1961年のあとの植え継ぎ) · Nigatsu-do, Todai-ji precinct
鷲が赤子をさらい、この斜面の杉に置いていった。その子が育って東大寺を開いた。それが良弁杉の言い伝えである。赤子はのちに東大寺の初代別当となる良弁で、僧に拾われて育てられ、その場所の木はそれ以来この名を持っている。傍らの石碑にその話が刻まれている。
いま立っているのはその杉ではなく、ここではだれもそのふりをしていない。初代はおよそ六百年生き、高さ21.2メートルに達したが、1961年9月16日、最大風速75メートルを記録した第二室戸台風が奈良を通った。そのあとの経緯は資料によって分かれる。植え継いだ木が根付かず、いまの木は1967年3月16日に植えられたとするものと、これを三代目ではなく四代目と呼ぶものがある。何度目で根付いたかは食い違うが、この木が持ちこたえた点では一致している。
だから樹齢はおよそ六十年で、このページで最も若い。奈良はそのことに大らかでいられる街である。ここで遺物なのは木材ではなく、場所のほうだ。
二月堂の建つ斜面の下、小さな興成神社のすぐ北に立っている。無料で、上りは短い。
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二月堂のカヤ
カヤ(Torreya nucifera) · 200年から299年(国の巨樹調査の年代区分による) · Nigatsu-do, Todai-ji precinct
二月堂でいちばん有名な木は、1961年の台風のあとに植え継がれた樹齢六十年ほどの杉である。幹回り4メートル、二、三百年のこの木は有名でも若くもなく、ほとんどだれも見ていない。
カヤ(Torreya nucifera)で、この大きさのものはどこでも珍しい。成長がきわめて遅く、その材は碁盤と将棋盤が削り出される木として知られる。一面の盤に一本の木の一生がかかることもある。だからカヤの幹回り410センチは、同じ数字を杉やクスノキで見るときよりずっと長い時間を意味する。国の調査は高さ27メートル、樹勢良好とし、遠くからでも見分けられると記録している。この斜面では、建物のあいだからではなく下の道から、という意味である。
二月堂は、奈良を見渡す舞台を持ち、毎年三月にお水取りの行が行われる堂である。この木は、説明板も伝説も持たないまま、その隣に立っている。
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手向山八幡宮のケヤキ
ケヤキ(Zelkova serrata) · 200年から299年(国の巨樹調査の年代区分による) · Tamukeyama, Todai-ji slope
大仏から二月堂へ向かう人の多くが、立ち止まらずに横切っていく神社の斜面がある。そこに高さ28メートルのケヤキが立っている。
ケヤキは、日本の建築がそこから作られてきた木である。寺社の柱、太鼓の胴、堂の大梁。三百年荷重を支える材が要るとき、伐られたのはこの種類だった。幹回り4メートルのケヤキが寺社の境内に立っていることの皮肉は、これほど良い木はたいてい、そこまで育つ前に伐られてきたという点にある。この木は国の巨樹調査で幹回り405センチ、樹勢良好と計測され、この神社で調査が記録した唯一のケヤキである。
手向山八幡宮は二月堂のすぐ南の高まりにあり、八世紀に大仏の鋳造を見守るために奈良へ迎えられた神社である。秋にはこの斜面が色を変える。ケヤキはその理由の一つで、この種は黄色ではなく銅色になる。
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若宮の大楠
クスノキ(Cinnamomum camphora) · 300年以上(国の巨樹調査の年代区分による) · Wakamiya, Kasuga Taisha
幹回り578センチ、高さ30メートル。奈良公園の春日大社側で、拝観料のかかる区域の外にある木としては最大である。
クスノキは暖かい日本の巨人で、だれも伐らないときにこの種がすることがこれである。低く重く広い幹が、小さな建物ほどの樹冠を支える。常緑で、葉を一枚ちぎると、かつての薬箱の匂いがする。国の調査は樹齢を三百年以上とし、樹冠の一部に枯れ込みがあると記録した。この年齢のクスノキでは普通のことで、木が弱っている印ではない。
正確な大きさは未解決の問いで、このページは数字を選ぶより、そう書いておきたい。環境省は胸高で578センチと計測している。この木を載せ、天然記念物と記しているOpenStreetMapは、幹回り12.5メートルとしている。両方が同じものを測っているはずがない。
立っているのは若宮、春日大社の本殿から南へ続く石灯籠の参道の突き当たりの社で、1136年以来一度も途切れずに、毎年十二月のおん祭の行列が来る場所である。
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若宮のエノキ
エノキ(Celtis sinensis) · 200年から299年(国の巨樹調査の年代区分による) · Wakamiya, Kasuga Taisha
幹回り5メートルに対して、高さは17メートルしかない。場所と時間を与えられたエノキが取る姿である。ずんぐりとして幹が重く、上ではなく横へ広がる。
エノキは、日本が街道の一里塚に意図して植えた木である。早く育ち、広く影を作り、遠くからよく見えるからで、東大寺にも西大門跡に一里塚の木がある。この木はそれではない。若宮の神社の土地に立っていて、なぜここにあるのかを記した資料はない。国の調査が言うのは、幹回りが500センチを超え、樹齢は二、三百年、樹勢は良好ということだけである。名前を言われないまま通り過ぎられることの多い種類の木としては、相当な大きさである。
大楠と同じ地面を分け合っていて、歩いて数歩の距離なので、二本は二か所ではなく一か所として回れる。春日大社の下、石灯籠の参道の静かな端にあたる。
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祓戸神社の大イチョウ
イチョウ(Ginkgo biloba) · 300年以上(国の巨樹調査の年代区分による) · Kasuga Taisha, on the approach between the Second Torii and Nanmon Gate
春日大社に着く手前で、参道は小さな祓戸神社で一度止まる。本社へ進む前に身を清める場所とされてきた社である。そのイチョウは、三百年以上その儀式の上に立ってきた。
幹回り4メートル30センチ、高さ25メートル。2000年に国の調査が計測した時点で樹冠に多少の枯れ込みがあったが、この大きさの木では警告というより普通のことである。イチョウは地球に残る最も古い樹木の系統で、二億年ほとんど姿を変えていない。それがいま生きているのは、野生でよく育つからというより、人が千年にわたって寺社の周りに植え続けたからである。この木も、何かの生き残りとしてではなく、社の木としてここに場所を得た。
春日大社自身の散策案内はこの木を名指ししている。二つの森の道のどちらにおいても、名前を挙げられたイチョウはこれだけで、何を目当てに戻るべきかもはっきり書いている。儀式ではなく、晩秋である。木が色を変え、祓戸を知らなかった人まで引き寄せる。
有名な石灯籠のある有料の区域よりずっと手前、無料の参道に立っているので、黄葉を見るのに切符は要らない。
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